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カルマの法則とは|仏教の「業」との関係と日常での考え方

カルマという言葉を人づてに聞いて、自分の状況に当てはまるのか気になった方は多いと思います。つらいことが続くと、これは自分の行いが返ってきているのだろうかと考えたくなります。

カルマの法則は、もともと仏教の「業」という考え方に由来します。ただし、いま日本で語られている内容は、仏教の教えそのものとは少しずれている部分もあります。この記事では、辞典に載っている本来の意味を確かめたうえで、いま語られている内容との重なりを整理します。

読み終えると、カルマの法則として語られている話の輪郭がつかめます。そのうえで、自分の状況をどう考えればよいかの手順まで持ち帰っていただけます。

カルマの法則とは

カルマの法則とは、自分がした行いが、めぐりめぐって自分に返ってくるという考え方です。よい行いはよい結果に、悪い行いは悪い結果につながる、という形で語られます。

もとは「行為」を指すことば

カルマは、サンスクリット語の「カルマンkarman」からきた言葉です。日本大百科全書は、仏教の「業(ごう)」について「サンスクリット語のカルマンkarmanの訳語」と説明しています。ブリタニカ国際大百科事典も「サンスクリット語で、本来の意味は行為である」としています。

つまり、もとの意味は「行為」そのものです。運命や宿命という意味は、あとから重ねられていったものだと分かります。

※出典:コトバンク「業」(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典)

法則として語られている内容

カルマの法則という言い方で語られるのは、おおむね次の3つです。いずれも、行いと結果が結びついているという点で共通しています。

法則として語られている内容

  • いま起きていることには、それ以前の行いが関わっている
  • これからどうなるかは、いまの行いによって変わる
  • 行いには、体で行うこと、口に出すこと、心で思うことが含まれる

3つ目の「体・口・心」という分け方は、仏教の考え方から来ています。この点はあとの章で詳しく見ていきます。

因果応報とはどう違うのか

カルマの法則と因果応報は、同じものとして扱われることがあります。実際、指している内容はかなり重なっています。

日本大百科全書は、業について「善因善果・悪因悪果、さらには善因楽果・悪因苦果の系列は業によって支えられ」と説明しています。よい原因からよい結果が生まれるという因果の考え方が、業に支えられているという記述です。この部分だけを取り出せば、因果応報とほぼ同じ内容になります。

違いがあるとすれば、言葉の使われ方のほうです。因果応報は日常の日本語として定着していて、悪い結果について使われることが多い言葉です。一方でカルマの法則は、スピリチュアルの文脈で使われることが増えています。

この記事での使い分け

この記事では、辞典に記述のある内容を「業」、いまスピリチュアルの文脈で語られている内容を「カルマの法則」と書き分けます。同じ言葉に見えても、出どころが違うためです。

引き寄せの法則とは別のものです

カルマの法則と引き寄せの法則は、同じものとして語られることがあります。どちらも心の持ち方が現実に関わるという話に見えるためです。ただし、成り立ちも中身も違います。

カルマの法則 引き寄せの法則
もとになった考え 仏教の「業」 近代以降の自己啓発
扱う中心 行いと、その結果 思考と、望む現実
時間の向き 過去の行いから現在へ 現在の思考から未来へ
辞典への掲載 「業」として掲載がある 仏教用語としての掲載はない

カルマの法則は、これまでの行いを振り返る方向に働きます。引き寄せの法則は、これから望むことに意識を向ける方向に働きます。向きが逆であるため、混ぜて使うと考えが整理しにくくなります。

仏教の「業」と、いま語られる「カルマ」

カルマの法則を調べると、仏教の話とスピリチュアルの話が混ざって出てきます。どこまでが仏教で説かれてきたことなのかを、先に分けておきます。

仏教で説かれてきたこと

日本大百科全書は、業について「身(しん)・口(く)・意(い)の三業といい、身体とことばと心とはつねに一致して行為に現れる」と説明しています。行いを、体でしたこと、口に出したこと、心で思ったことの3つに分ける考え方です。

ブリタニカ国際大百科事典は、さらに「個人の業である不共業、社会全体の業である共業をも説いている」としています。業は個人だけのものではなく、社会全体で担うものも含むという整理です。この点は、いまスピリチュアルの文脈で語られる内容にはあまり出てきません。

三業という分け方には、実際に使える視点が含まれています。行いを体と口と心に分けると、どこでつまずいたのかを切り分けやすくなるためです。

分け方 含まれるもの
身(しん) 体を使って実際に行ったこと
口(く) 言葉にして口に出したこと
意(い) 口に出していない、心で思ったこと

日本大百科全書は、この3つについて「身体とことばと心とはつねに一致して行為に現れる」と説明しています。思っていることと言葉と行動がそろって、はじめて行いになるという見方です。心で思っただけのことも行いに含める点が、日常の感覚とは少し違うところだと思います。

スピリチュアルで語られること

現在よく見かけるのは、前世からの持ち越しとして語る形です。人間関係のつまずきや繰り返す出来事を、前世の行いと結びつけて説明します。

この形は、仏教の輪廻の考え方をもとにしています。ただし、前世の具体的な内容を特定できるという説明は、辞典に記述のある業の説明には含まれません。

重なる部分と、重ならない部分

論点 仏教の「業」 いまの「カルマの法則」
行いが結果につながる 説かれている 中心的に語られる
体・口・心の3つに分ける 三業として説かれている 触れられることは少ない
社会全体で担う業がある 共業として説かれている ほとんど語られない
前世の内容を特定できる 辞典の記述にはない 語られることがある
占いで判定できる 辞典の記述にはない 語られることがある

重なっているのは、行いと結果が結びついているという骨格の部分です。一方で、前世の中身を特定したり占いで判定したりする話は、辞典に記述のある業の説明には出てきません。同じ言葉でも、指している範囲が違う点は押さえておくとよいと思います。

結果はいつ現れるとされてきたのか

行いの結果がいつ返ってくるのかについても、仏教では整理されてきました。三時業という言い方で、結果が現れる時期を3つに分けています。

区分 結果が現れるとされる時期
順現業(じゅんげんごう) いま生きているあいだに現れる
順次業(じゅんじごう) 次に生まれ変わったときに現れる
順後業(じゅんごごう) その次以降の生で現れる

※出典:コトバンク「三時業」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典)

ここで大切なのは、いつ何が起きるかを事前に特定できるとは説かれていない点です。すぐに返ってくるものもあれば、そうでないものもある、という整理にとどまります。「いま起きているこれは、あのときの行いの結果だ」と1対1で結びつける説明は、この分類からは出てきません。

罰として語るのは、もとの考え方とは違います

カルマの法則を、悪いことをした罰として説明する話を見かけることがあります。しかし、辞典に記述のある業の説明は、罰という枠組みを取っていません。

日本大百科全書が挙げているのは、善因善果・悪因悪果という対の系列です。よい行いにはよい結果が、という並びであって、片方だけを取り出す説明にはなっていません。つまり、悪い結果の説明だけに使う言葉ではないということです。

この点は、日々の行いを考えるうえでも意味があります。悪い行いを避けることと同じだけ、よい行いを重ねることも業の考え方に含まれるためです。人に親切にする、約束を守る、言葉を選ぶといった小さなことも、行いとして数えられます。

注意したいこと

いま起きているつらい出来事を、「過去の行いの報い」と決めつける説明には注意が必要です。病気や事故、災害のような出来事を本人の行いのせいにする考え方は、当事者を追い込むことにつながります。

体調の不安や、生活に支障が出ている状態は、カルマとして受け取る前に医療機関や公的な相談窓口で確かめてください。

カルマの法則は信じるべきなのでしょうか

カルマの法則について調べると、事実として説明する記事と、否定する記事の両方が見つかります。どちらの立場を取るかを決める前に、性質を整理しておくと迷いにくくなります。

検証された自然法則ではありません

カルマの法則は、実験や観測で確かめられた法則ではありません。仏教の教えとして説かれてきた考え方であり、重力や電気の法則とは性質が違います。この点は、信じる立場を取る場合でも押さえておいたほうがよいと思います。

考え方として役に立つ場面はあります

一方で、行いと結果を結びつけて考える見方そのものは、日常でも使えます。自分の言動を振り返る習慣は、人間関係を見直すきっかけになります。検証された法則かどうかと、考え方として役に立つかどうかは別の話です。

気をつけたい使われ方

注意したいのは、他人を責める根拠として使われる場合です。相手の不幸を「カルマだ」と説明する使い方は、もとの考え方から離れています。また、不安をあおって高額な商品やサービスにつなげる説明にも気をつけてください。

自分の状況に当てはめて考えるとき

自分の状況がカルマなのかを考えるとき、手順を決めておくと迷いにくくなります。ここでは3つの目安をお伝えします。

起きたことの原因を1つに決めない

人間関係のつまずきには、たいてい複数の要因が重なっています。相手の事情、自分の状態、時期やタイミングなど、切り分けられるものは切り分けて考えます。すべてをカルマとして片づけると、手を打てる部分まで見えなくなります。

変えられるのは、これからの行いだけ

業の考え方では、これからどうなるかはいまの行いによって変わるとされています。過去の出来事そのものは動かせませんが、これからの向き合い方は選べます。振り返る目的は、反省を重ねることではなく、次の行動を決めることに置くとよいと思います。

「カルマだから」で止めない

カルマという言葉は、説明としてよくできているぶん、そこで考えが止まりやすくなります。相手と距離を取る、環境を変える、誰かに相談するといった具体的な行動につなげてください。実際の手順はカルマを解消する方法をまとめた記事で詳しく扱っています。

解消のサインとして語られること

カルマが解消されたサインは何か、という問いは、Googleの検索結果にも関連する質問として表示されます。ただし、これを判定する客観的な基準はありません。ここでは、スピリチュアルの文脈で語られている内容を、そのまま断定しない形でお伝えします。

語られている内容

  • 同じ問題が繰り返されなくなったと感じる
  • 相手に対する強い感情が薄れ、思い出しても揺れなくなる
  • 関わる人や環境が自然に入れ替わっていく
  • 過去の出来事を、いまの自分と切り離して話せるようになる

いずれも本人の受け止め方に関わるもので、外から確かめられるものではありません。サインを探すこと自体が目的になると、かえって過去にとらわれる時間が長くなります。当てはまるかどうかより、いまの生活が落ち着いているかを目安にするほうが現実的です。

なお、特定の相手との関係が続けて苦しい場合は、カルマメイトとされる関係の考え方もあわせてご覧ください。

よくある質問

Q

カルマの法則に科学的な根拠はありますか

A

カルマの法則を科学的に確かめた研究はありません。仏教の教えとして説かれてきた考え方であり、検証された自然法則とは性質が違います。信じるかどうかは個人の判断になります。

Q

自分のカルマを知る方法はありますか

A

辞典に記述のある業の説明には、個人のカルマの中身を特定する方法は出てきません。占いで判定できるという説明も、仏教の教えとしては説かれていません。自分の行動の傾向を振り返ることは、判定とは別の意味で役に立ちます。

Q

カルマがある人に特徴はありますか

A

特定の性格や見た目でカルマの有無が決まるという説明は、辞典の記述にはありません。業はすべての人の行いについて説かれるもので、一部の人だけが持つものとはされていません。

Q

前世のカルマは今世で必ず返ってきますか

A

仏教では業の結果が現れる時期について複数の説が説かれてきました。ただし、いつ何が起きるかを事前に特定できるという説明にはなっていません。

まとめ

カルマの法則は、もともとサンスクリット語で「行為」を意味する言葉から来ています。仏教では業として説かれ、体・口・心の3つに分けて考えられてきました。

いまスピリチュアルの文脈で語られる内容とは、行いと結果が結びつくという骨格の部分で重なります。一方で、前世の中身を特定したり占いで判定したりする話は、辞典の記述には含まれません。

つらい出来事を罰として受け取る必要はありません。過去を振り返る目的は、これからの行動を決めることに置いてください。体調や生活に支障が出ているときは、カルマとして考える前に医療機関や相談窓口で確かめてください。